知らない感情

※PSP版(恋物語)のイベントネタがちらっとあります。

「桜川、こっち!走って!」
「かっ、華原君っ!?」
たまたま帰りが一緒になって二人歩いていた帰り道に、急に降ってきた大豪雨。
降りしきる雨の中を、私は華原君に腕を掴まれながら走っていた。

二人で近くの公園内にある小屋へと急いで駆け込む。
公園の近くまで来ていたのは幸運だったかもしれない。でなければ私たちはもっとずぶ濡れになっていただろう。
それでも髪も制服も結構濡れてしまって、べったりと張り付く前髪とシャツが少し気持ち悪い。
「桜川、大丈夫?」
「う、うん。それにしてもビックリした~。天気予報は晴れって言ってたのに…」
「急に降ってくるんだもんな。まあ、通り雨だろうし、少し待てば止むよ」
「そうだね。早く止んでくれないかなぁ」
「だな」
そんなことを話していると、華原君は徐に濡れた前髪をかき上げて、その仕草に思わずドキッとした私は、つい目を逸らしてしまった。
華原君、雨に濡れててもカッコいいなぁ。濡れてるせいかな?何だかちょっと色気があるというか…って私、何考えてるんだろ!?
「?桜川、どうかした?」
「う、ううん!何でもないっ」
まさか華原君の濡れた姿にドキドキしてました、なんて言えない。
少し火照った顔を見られないよう、私は屋根の下から雨空を見上げた。

「………」
「………」

いつの間にか会話は止まり、雨音だけがいやに耳に響く。
チラッと隣の華原君へ視線を移すと、華原君も同じく空をじっと見上げていた。
(何を考えてるのかな…やっぱり早く止まないかなぁ、とか?)
本当のことを言うと、私としてはこの状況はちょっとラッキーかもって思っている。
華原君と一緒に帰ることは何度かあるけれど、こんな風に二人きりになることって最近あまりなかったから。だからこんな大雨でも、華原君と一緒にいられる時間が増えるのはやっぱり嬉しい。
ずぶ濡れになったのは災難だったけど、たまにはこんな天気にも感謝かな?なーんて。

(…そういえば、去年もここで雨宿りしたっけ)
あの時はまだダイエットを始めたばかりだったから、私の体型は今とは比べ物にならない程太っていた。
だから傘を持っていた華原君から「一緒に帰ろう」という誘いも、体型のせいで傘に入りきらないからって泣く泣く辞退して。そしたら華原君は私に傘を貸してくれて、自分は傘を差さずにそのまま走って帰ったのだ。
(華原君って本当に優しいんだなって思ったっけ)
思い出してクスリと笑う。
でもこれも、華原君からすれば「優しい華原君の仮面」だったのかもしれない。

『オレ、他人なんてこれっぽっちも信じてないんだ』
三月の卒業式。華原君にああ言われた時は、本当にビックリした。
明るくて優しくて、いつも皆のことを考えてくれていて。そんな華原君は全部演技で、今まで優しくしてくれたのも全部嘘だったのだと。そう知った時、華原君のことがわからなくなって、その日は全然眠れなかったっけ。
それからずっと華原君のことを考えて考えて、悩んで悩んで出てきた答えは、「私は華原君が好き」ということと「華原君のことをよく知りたい」だった。
我ながら単純な答えに行きついたな、と思うけど、お陰で迷いはなくなった気がした。

それからは華原君とは今まで通り。
普通に話もするし、一緒に登下校したり、散歩したり。
今までと違うのは、華原君が二人の時は素の表情を見せるようになったことだろうか。
…そんな時の華原君はだいたい意地悪なんだけれど。
でも、不思議とそれはイヤだと思ったことはない。
多分、それも華原君の本当の素顔の一つだから。
卒業式の日、遠くなったように思えた華原君との距離も、今では前よりも縮まった気がする。
初めて華原君と話した時は、まさかこんな風に一緒にいるなんて想像もしてなかった。

「…何だか不思議」
そんなことを考えてたら、ポロリと言葉が零れていた。
雨音に消えてしまいそうな小さな呟きだったけれど、華原君の耳にも届いたらしい。
「ん?何が?」
「あのね、去年も私、ここで雨宿りしてたでしょ?華原君、私に傘を貸してくれて、自分は雨の中走って帰ったじゃない」
「ああ、そんなこともあったな」
「あの時はまだ本当の華原君を知らなくて、華原君って何て優しいんだろうって思ったなあ」
「……何?じゃあ、今のオレは優しくないわけ?」
あ、しまった。今のは失言だったかも。
「え⁉いや、そんなつもりじゃ…っ。でもほら、あの時は華原君がこんな風に意地悪言ったりするなんて想像もしてなかったというかっ」
慌てて言い繕うけれど、華原君は意地悪そうに笑っている。うう…何とか誤魔化さないと。
「だ、だからね?つまり…一年の時は遠くから眺めてる存在だった華原君と知り合って、今じゃ華原君の素顔を知って、こうして一緒に雨宿りなんてしてるじゃない。こんなに華原君と仲良くなれるなんて思わなかったから、何だか不思議だなって」
「……。ふーん…。まぁ、何となくわかるかな」
そう言うと、華原君は視線を下に向けて、考え込むように黙ってしまった。
どうしたんだろう?と思いつつも、話しかけるのも何だか悪いような気がして、私は再び外へと目を向けた。
それにしても、雨、止まないなあ。
秋の空は気まぐれと言うけれど、もうそろそろ晴れても良いんじゃないだろうか。

「桜川ーー……」
華原君に呼びかけられ、「何?」と華原君の方を向く。
しかし、当の華原君はそのまま固まったように動かない。
じっとこっちを見たまま、表情も何だか驚いているような。
「華原君?ねえ、どうしたの?」
ずっと黙っているから声を掛けてみる。すると、華原君はハッとしたように今度は鞄の中を探りだした。「何で気付かなかったんだ」と言いながら、鞄から取り出したのは学校のジャージ。
何で今ジャージ?と思いながら華原君を見ていると、そのジャージは華原君ではなく私の肩へとかけられる。
「え、え!?な、何?」
「それ、今日部活なくて使わなかったからさ。身体冷やすといけないし、着てなよ」
「えぇっ⁉い、いいよ、濡らしちゃうし悪いよ」
ジャージを脱ごうとすると、私の手の上に華原君の手が重ねられ制止される。
「良いから着とけって!」
いつもよりも強い語気の華原君に、思わずビクッと身体が震える。
「どうして…?」
何で華原君がこんなことをするのかわからなくて、私は訴えかけるように華原君を見上げた。

「………」
「…華原君?」
そういえば、さっきから華原君は全然私の方を見ていない。逸らされた顔は、少し赤みを帯びているような。
もしかして熱があるんじゃ…と聞こうとすると、華原君が重そうに口を開いた。
「……あのさ。もう少し自分の格好に気を配った方が良いんじゃない?」
「え?それってどういう…。……!」
私そんなに変な格好?と自分の胸元に視線を移してハッとする。
雨の中を走ったせいで、頭から足元までビショ濡れ。
当然制服のシャツも思い切り濡れていて、そのせいでシャツの下が透けて見えてしまっているのだ。夏服のシャツは薄いから余計に。
当然、下着も見えてしまっていて……うわああああ、私、何で気付かなかったの!?
「わかった?」
「う、うん。ありがとう……」
あまりにも恥ずかしくて、そう答えるのがやっとだった。
華原君のジャージの裾を握りしめながら、私はこれ以上華原君を見られなくて俯いた。

「………」
「………」

会話はなくなり、再び沈黙が訪れる。
けれど、さっきと違って今はとても気まずい。そして、とても恥ずかしい。
私も何で華原君に言われるまで気付かなかったんだろう。
公園で華原君と雨宿り、なんて浮かれていたせいだろうか。
呆れたかな、華原君。
何でこんな大雨が降ったんだろう、とさっきまで感謝していた天気も恨めしくなる。
(……あったかないな…)
羽織った華原君のジャージは大きくて、とても温かい。何だかいい匂いもするし。
優しくて、とても安心する。
お陰で沈んでいた気持ちも、少しずつ和らいでいくのを感じた。
(華原君って、何だかんだで優しいよね)
素顔の華原君は確かに意地悪な所もあるけれど、与えてくれる優しさは、知り合った時からやっぱり変わらない。
そう思ったら、自然と笑みが零れ出た。

「……ふふっ」
「…何笑ってんの?」
笑っている私が理解できないとばかりに、華原君の声は不機嫌な色を帯びていた。
「あ、ごめんね?あのね、さっきの話の続きなんだけど…」
「さっきの話?」
「華原君は優しいって話」
「何だよ、さっきは意地悪とか言ってたくせに」
「それは、そういう一面もあったんだなってことで。でも、やっぱり華原君って優しいよね」
「『明るくて優しい華原君』なんてただの仮面だって知ってるくせによく言うよ。…あんたって、本当お人好しだよな」
はあ、とワザとらしく呆れたように溜め息を吐く華原君に、私も負けじと笑って返す。
「だって知ってるもん。華原君が優しいって」
「…ふーん?」
「あっ、信じてないって顔してる」
「そりゃ、信じてないからな」
信じてない、サラリと言われて少しだけ胸が痛む。
でも、私だって負けられない。
華原君が信じないと言うなら、信じられるまで伝えれば良いのだ。

「だって華原君、先週の休憩時間、クラスの子が体調悪そうなの華原君いち早く気付いて、保健室付き添ってあげてたでしょ?一昨日は私に英語の宿題丁寧に教えてくれたし。それからこの前の掃除の時も――…」
私は思い付くまま華原君の優しい所をあげていく。
「それに今だって、こうやって私にジャージ貸してくれたじゃない。私が恥かかないように気遣ってくれて。やっぱり華原君って優しいなぁって思ったら、嬉しくて」
「………」
いつの間にか、華原君は静かに私の話を聞いてくれていた。
少しは伝わっているのかな。私の気持ち。
もう少し、もう少しだけ伝えたい。
「華原君が違うって言っても、華原君は優しいってこと、知ってるよ。私は、そんな華原君が好きだから…」
「え?」
「え?」
驚いたような華原君の声に、私も釣られて聞き返す。

……え?あれ?
私、今、とんでもないことを口走らなかった…?

「……!」
自分の言った言葉を認識すると、私は慌てて首を振った。
「ち、違うのっ!今のは何と言うか、そういう意味じゃなくてっ。華原君は優しいって言いたかっただけで、好きっていうのはその」
必死に弁明を試みるけれど、何故かとても白々しく聞こえてしまう。だって「好き」って言葉は本心だ。
ああでも、まだ伝えるつもりはなかったのに。
華原君に少しでも自分の気持ちを伝えたいと思ったら、気付けば口にしていた。
さっきから華原君は黙っている。何て思っているだろう。私の言い訳を信じてくれるだろうか。
私はきっと赤いだろう自分の顔を見られないよう、下へ下へと俯いた。

どのくらいそうしていたのだろう。
徐に華原君の手が伸びてきて、俯く私の頬へと添えられた。
思わずビクッと身体を強張らせる。すると顔を上へ向かされて、華原君と目が合った。
「…華原君?」
あれ?華原君の顔が近いような気がする。…いや、気がするんじゃなくて、近いんだ。
いつもより近い距離で見つめられる華原君の視線は何だか熱っぽくて、私の心臓は華原君にも聞こえるんじゃないかと思えるほどドキドキと煩く響く。
恥ずかしくて視線を逸らしたいけれど、顔は華原君の手で固定されてしまってできそうにない。
「桜川…」
「か、華原君っ!何かあの、その。ち、近くないかなあ、なんてっ」
しかし、私の言葉は届いていないかのように、華原君の顔は近付いてきて。
え?え?
待って、これ以上近付くと、まさかとは思うけど、まさかなの…!?
「……っ」
だんだんと近付く華原君の視線に耐えられず、ぎゅっときつく目を閉じた。

その時、辺りを引き裂くような大きな音が鳴り響いた。
「っ!」
どうやら近くで雷が落ちたみたいだ。
驚いて目を開くと、同じく驚いたような目をした華原君と目が合った。
目を閉じる前よりも至近距離で、ドキドキする心臓が更に音を上げる。
「……あ」
「華原君…?」
「…ご、ごめんっ!オレ…っ」
華原君は慌てて飛びのくように私から離れた。
「う、ううん。大丈夫だよ?」
何が大丈夫なんだろう?と思いつつも、多分これが正しい気がしてそう答える。
「……」
口元を片手で覆う華原君の顔は赤くて、動揺しているのがわかる。こんな華原君を見るのは、初めてかもしれない。
「華原君、大丈夫?」
心配になって華原君の方へ手を伸ばすと、その手はパシッと振り払われる。
「あっ…」
「ごめん…!…何か調子悪いみたいだな。悪い、オレ、先に帰るなっ!またな!」
「えっ、あ、華原君⁉」
まだ降り続ける雨にも構わず、華原君は走り出した。
あっという間に見えなくなるその姿を、私はただ呆然と眺めていた。

華原君が見えなくなってからしばらくして、力が抜けたようにその場にしゃがみ込む。
「…ビックリした……」
心臓はまだドクドクと音を立てて、一向に鳴りやむ気配がない。
さっきのあれは、なんだったのだろう。
(……キス、されるのかと思った)
今思えば、華原君に限ってそれはないのだろうけれど。
…それでも。あの時、雷が鳴らなかったら、どうなっていたんだろうと考えてしまう。
きっと華原君のことだ。あれも私をからかったにすぎないのかもしれない。
でも、華原君の様子は明らかにいつもと違っていて、華原君自身動揺していた。
(私が好きだなんて言ったからかな…)
多分、様子がおかしくなったのはそれからだし。

明日から華原君とどんな顔をして会えば良いんだろう?
華原君はいつもみたいに笑顔を向けてくれるだろうか?
もしそうだったら、私もいつも通り、笑顔で返そう。
(いつも通り…。いつも通りできるかな?)
羽織った華原君のジャージをぎゅっと握りながら、私はだんだんと止み始めた雨の音を静かに聞いていた。


******


マンションへ辿り着くと、エレベーターを待つのも嫌だったオレは、階段を駆け上がって部屋へと向かう。
「ヴォンッ」
足音を聞きつけたシュタインが、部屋に入るなり待っていたとばかりにオレの方へ飛びついてきた。
「ただいま、シュタイン」
シュタインの頭を撫でながら、全身雨で濡れているのも構わず、オレはベッドへと倒れこんだ。
はーっと大きく息を吐く。
雨でだいぶ冷やしたはずなのに、顔も身体もまだ熱く、心臓はドクドクと鳴り響いている。
(オレは何で、あんなこと……)

『華原君が好きだから…』
桜川の言葉を聞いた瞬間。何も考えられなくなって、気付けば身体が動いていた。
あの時、湧きあがったあの感情は何なのだろう?
わかるのは、桜川の言葉が何故かとても嬉しかったこと。
そしてオレは桜川のことが――…。
そこまで考えて、有り得ない、と首を振る。
他人なんて信じない。だから、人に必要以上に関わることも、興味を持つこともしない。
それは桜川だって例外ではない。
だから、オレがこんな気持ちを桜川に抱くなんて有り得ない。
なのにさっきから思い浮かぶのは、雨で濡れた制服で、真っ赤な顔をした桜川の姿。
考えるなと意識すればするほど、脳内に焼き付いたようにハッキリと思い出してしまって、そんな自分にイライラする。

(考えるな。…そうだ。あんなの、一瞬の気の迷いだ)
それにあれは桜川だって悪い。
オレが優しいのは演技だって言っているのに、「華原君は優しい」とムキになって熱弁するし、仕舞いにはあんなことまで言うし。
だから、オレもそんな桜川に釣られて、勘違いを起こしただけ。そうだ。そうに決まってる。
だからこれ以上悩むことはない。
だってあれはただの気の迷いで、オレは桜川のことなんて何とも思ってないのだから。
そう自分に言い聞かせる。

「クゥン…」
気付けば、ベッドの下からシュタインが心配そうにオレの顔を覗き込んでいた。
「…シュタイン。心配かけてごめんな」
身体を起こしシュタインを抱き上げ、その背中を撫でてやる。
「…大丈夫。明日になれば、いつも通りにできるさ」
「ヴォンッ」
自分に言い聞かすように呟くと、それにシュタインが答えるように吠える。
とりあえず明日、桜川に会ったら何と言って誤魔化そうか。
「まずは、謝るしかないよな…」
そしたら、桜川は何と言うだろうか?
変わらず笑顔を向けてくれるだろうか?
そのことばかりを考えながら、オレはシュタインを抱えたまま、再びベッドへと横になった。
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