特別なプレゼント

校舎を出ると、雪がひらひらと舞っていた。
舞い散る雪の結晶が帰り道を幻想的に装飾し、見慣れた景色もいつもとは少し違って見える。
ヒトミは子供っぽく目を輝かせながら、隣を歩く雅紀へ声をかけた。
「華原君っ。雪だよ、雪」
「…そうだな」
「……?」
難しい顔をしている恋人の顔を、ヒトミはそっと見上げる。
…どうしたのだろう?いつもなら、温かな笑顔を向けてくれるはずなのに。
それは自分だけに見せてくれる、特別で、大好きな笑顔。

ここ最近、雅紀はずっとこの調子だ。何か元気がないというか、機嫌が良くないというか。
こちらが話しかけても、返ってくる言葉は少し素っ気ない。
理由を聞いても本人は気のせいだと言うが、それは嘘だとわからない程、ヒトミも鈍感ではない。
学校ではいつもの『明るくてクラスの人気者』を演じている雅紀だが、ふとした時に表情が翳っていることにヒトミは気付いていた。
付き合い始めて、もうすぐ一年。自惚れかもしれないが、他の誰よりも彼のことはわかっているつもりだ。
(…シュタインには負けてるかもしれないけど)
もしかすると彼の愛犬なら知っているのだろうか。ご主人様がご機嫌ナナメの理由を。
「ねえ、華原君。最近変だよ、何かあった?」
「え?そんなことないよ、気のせいだって」
やっぱり返されるのは同じ言葉。いくら聞いても、認める気はないらしい。
ヒトミは理由を探るのは諦めて、自分なりに考えてみることにした。
(うーん、何だろう。最近何かあったかな。…そうは言っても、今日は華原君の誕生日だったから、くらいしか思いつかないんだよね)

1月17日。今日は雅紀の誕生日だ。
雅紀にとって今日という一日は、それはそれは大変だった。
昨年、学園No.1だった一ノ瀬が卒業し、雅紀の人気は三年に上がってから更に上昇した。
そんな彼の誕生日なのだから、ファン達が大人しくしているはずもない。
朝から雅紀はファンの女子達に追いかけられるわ、囲まれるわ、我先にプレゼントを渡そうとして、ファン同士で揉め出すわ。その勢いは昨年を上回るものだった。
「あれはある意味見世物だな」と、偶然現場を通りがかった若月が感心しながら呟いていた。
それに対し、確かにそうかもしれない、とヒトミも苦笑いするしかなかった。
そのため今日はあまり雅紀と話すことができなかったのが残念だが、こうなることを見越して、ヒトミからのプレゼントは学校から帰ってから渡す、と雅紀と予め決めていた。
一応学園では秘密にしているが、今年はヒトミという恋人がいるため、雅紀はファンからのプレゼントを断るようにしていた。しかし、それでも半ば強引に押し付けられたりして、全部断ることはできなかったようだ。
人当たりの良い仮面を付けた雅紀は、爽やかな笑顔を崩さず対処していたが、その内心は鬱陶しくてしょうがなかったらしい。
現在、雅紀の右手には、貰ったプレゼントが入った大きめの紙袋を提げられている。
今日がこれなら、バレンタインと卒業式はどうなるのだろうか。想像してみて、背筋がヒヤリとした。
(一日中あんなに人に囲まれたら、華原君も疲れちゃうよね。だからかな?でも、今日よりも前から何か元気がなかったから、違うかな…もしかして原因は私だったりする?)

「ねぇ、華原君。私、何かした?」
公園の前まで差し掛かった時、ヒトミはもう一度雅紀に尋ねてみた。
ピタ、と雅紀はと立ち止まり、軽くため息を吐く。
「…桜川もしつこいな。気のせいって何度も言ってるじゃん。そんなに信用できない?」
「そういうわけじゃないけど…。だって、気のせいじゃないって、わかるもん。華原君の彼女だから…っ!」
若干の苛立ちの色を浮かべて睨みつける雅紀に、ヒトミも負けじと雅紀を見つめ返す。
「ふーん…。でも、何でオレが機嫌が悪いかはわからないんだ?」
「う……」
グサリ、と痛い所を突いてくる。
「……ごめんね?ずっと考えてたんだけど、全然思いつかなくて。…でも、知らない内に華原君のことを傷付けちゃったなら、やっぱり謝りたいし…。あの…」
わかってる、彼はわざと意地悪な風に言っているだけだ。
しかし本当のことだけに、喋りはしどろもどろとしたものになる。その声もさっきまでの勢いは失われ、だんだんと小さく萎んでいき、ヒトミは俯いてしまった。
「………」
雅紀も何も言わず、お互いに黙り込む。気まずい空気と、舞い散る雪の冷たさが身にしみる。
しばらくすると、沈黙を断ち切るように、雅紀が深く息を吐いた。
「…わかったよ、降参」
「え?」
パッと顔を上げると、目の前の恋人は、さっきまでしていた難しい顔ではなく、優しい微笑みを浮かべていた。
雅紀の手がそっとヒトミの頬に触れる。この寒さのせいで、触れた手は少し冷たい。
「だからそんな顔するなって」
そう言って一呼吸置くと、雅紀は躊躇いがちに口を開いた。

「…最近、さ」
「うん」
「颯大や橘と、やけによく一緒にいるよな…って思ってさ」
「……え?」
予想外の言葉に、ヒトミは目を見開いた。雅紀は気まずそうな顔をする。
「いや、颯大は桜川に懐いてるから、わかるんだけど。橘とはそんなに一緒にいるわけじゃなかっただろ?けど最近仲良さそうにしてるからさ。…この前も一緒に買い物してただろ?散歩の帰りに偶然見た」
「あぁ…そういえば…」
確かに先週、剣之助に買い物を付き合ってもらった。まさかそれを雅紀が見ていたとは。
「その時の桜川、妙に浮かれてたというか…楽しそうに見えたから。それで何かモヤモヤして…面白くなかった。それだけ」
「……」
なるほど、つまり……ヤキモチを焼いていた、というわけで。
決まり悪そうに、雅紀はプイ、と顔を逸らす。その頬は少し赤かった。
そういえば彼は意外とヤキモチ焼きらしい、と気付いたのは最近のことだ。
理由がわかると、ここ数日不機嫌だったことも、今の拗ねてるような態度の雅紀も可愛く思える。ヒトミはクスリと笑みを零しながら、彼の左手をぎゅっと握った。
雅紀は少し驚いたように目を見開いた後、同じように握り返してくれた。
「ごめんね?まさかヤキモチ焼いてるなんて思わなかったの」
「……。本当に悪かったって思ってる?」
「思ってるよ」
「嘘。顔が笑ってる」
「うっ…。だって、ヤキモチ焼いてくれたんだって思ったらその…嬉しくって」
いつもヤキモチ焼いているのはきっと私ばかりだから。…表には出さないように頑張っているだけ。
入学した時から彼は学園の人気者で、自分もそんな彼に惹かれたのだから、仕方ないと分かっているけれど。
だから雅紀も同じなんだと思うと、無性に嬉しかった。
「何だよ、それ」
「ふふっ、ごめんね?…あ、何で橘君と最近よく一緒にいたのかは、ちゃんと理由があるんだよ。買い物の時に楽しそうにしてたのも。……華原君のことだったからなんだよ?」
「…オレのこと?」
意味がわからないと言うように、雅紀は眉をわずかにひそめる。
「うん。ちゃんと説明するから…そしたら許してくれる?」
「理由ねえ…。そうだな、内容によるかな」
「わかった!じゃあ、帰ったら教えるから」
早くマンションに帰ろう、と雅紀を促して、ヒトミは足早に歩き出す。
彼と繋がれた手はとても暖かくて、さっきまで感じていた身のしみる寒さも気にならなくなっていた。


マンションに着くと、二人は一旦それぞれの部屋へ戻った。
部屋へ戻ったヒトミは手早く着替えを済ませる。このために、昨日はどんな服が良いか、あれこれ悩みながら選んでおいた。簡単にだが薄っすらとメイクをし、左手には昨年のホワイトデーに雅紀がくれたブレスレットをつける。
雅紀へのプレゼントも準備万端だ。
忘れ物はないか確認をして、ヒトミは雅紀の部屋へと向かった。
ついさっきまで一緒だったのに、早く彼に会いたいと、自然と足早になってしまう。
一緒にいても、最近はずっと受験に向けて勉強に打ち込む日々だったから、今日は久々のデートと言っても過言ではない。心が躍るのも無理はなかった。
鷹士は今日は帰りが遅くなると言っていたのが幸いだ。
もしここに鷹士がいたら、気合いを入れて選んだ服に身を包み、可愛くラッピングを施した紙袋を提げ、ウキウキと出掛けようとするヒトミの姿を見たら、きっと大騒ぎしていただろう。
雅紀の部屋のチャイムを鳴らすと、すぐに彼は出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」
「ヴォンッ」
上がろうとすると、雅紀の後ろからシュタインが勢いよく出てきて、ヒトミに飛びついてきた。
「あっ、ちょっと待って、シュタイン!わわっ」
「こらシュタイン!」
飛びつくシュタインを抱き上げて、雅紀が「いきなり飛びついちゃダメだろ」と叱ると、シュタインはクゥンと悲しそうな声を出す。
「大丈夫だよ、華原君、シュタイン。ほら、プレゼントも無事だし!」
平気だということを強調するように、ヒトミはニコニコしながら「じゃーん!」とラッピングされた大きめの袋を抱えて見せる。
「あのね。この前橘君と買い物行ったのは、このためだったの」
「…プレゼント?」
「うん。今年のプレゼントは、颯大クンと橘君に協力してもらったんだ」
部屋へ上がると、いそいそと袋から箱を取り出し、テーブルの上へ置く。ラッピングされた紙袋とは対照的な、シンプルで白い紙の箱。
「華原君、開けてみて」
「あぁ」
雅紀の手がプレゼントの箱へと伸びる。
ここが一番緊張する時だ。
果たして雅紀は喜んでくれるだろうか。もちろん、喜んでくれるだろうと思って用意したつもりだ。しかし、それでもやっぱり緊張してしまう。
そんなヒトミの期待と不安が、その視線から雅紀にも伝わる。
(…そんな風に見つめなくても、桜川がくれるものなんだから何だって嬉しいに決まっているのにな)
そんな風に思う日が来るなんて、昨年までの自分からは考えられなかったな、と心の中で苦笑しながら、雅紀はプレゼントの箱を開けた。

「ケーキ?」
箱を開けると、中には真っ白なクリームに包まれて、その上に苺が乗ったシフォンケーキが鎮座していた。
「すごいな。もしかして手作り?」
「うん。華原君のプレゼント何が良いかなって、マンションの皆に相談したんだ」
「…相談?オレ、前に『桜川がくれる物なら何でも良いよ』って言ったと思うんだけど」
「でも、やっぱりそれじゃダメじゃない。何でもって言っても好みがあるし」
昨年と違って、恋人同士になって初めての彼の誕生日。
どうせなら、雅紀にたくさん喜んでもらいたい。
しかし、そう思えば思う程、何も浮かばなくなってしまい…。悩んだ末、ヒトミは透や若月、卒業と同時にマンションを出た一ノ瀬と神城にも何が良いだろうかと聞いてみた。
返ってきた答えは、全員同じ「ヒトミがくれる物なら何でも嬉しいのでは」というものだったが。
行き詰ってしまった時、颯大から「やっぱり手作りケーキじゃない?」と甘党の彼らしい提案が上がった。
その時一緒にその場にいた剣之助が「姉貴がケーキに詳しいから」とケーキのレシピを教えてくれたのだ。

「…で、最近は橘君にケーキのことで相談したり、試作を颯大クンに味見してもらったりしてたんだ。この前橘君と買い物してたのは、このケーキの材料を買いに行ってたの」
買い物中は、雅紀が喜んでくれるだろうか、笑顔で食べてくれたら良いな、なんて考えて、今思うと恥ずかしい程浮かれていた。
「橘君にも『先輩、もう少し落ち着いて下さい。顔もニヤけすぎっス』って言われちゃった」
「…なるほどね」
雅紀は納得するように小さく頷く。
「だからね?最近橘君と颯大クンといたのは、そういうワケなんだけど…許してくれる?」
顔色を伺うように恐る恐る見上げると、雅紀はニコッと笑顔を見せ、大きな手をヒトミの頭に乗せた。
そして安心させるかのように、優しく撫でる。
「オレのために色々考えてくれてたんだろ?許すも許さないもないじゃん」
その笑顔と言葉に安心して、ホッと胸を撫でおろした。
「良かった。何か意地悪言われるかと思っちゃった」
「何だよ、それ。お望みなら言ってあげても良いけど?」
そう言いながら意地悪そうな表情をする雅紀に、しまったと気付いて慌てて首を横に振る。
「いいい、良いです良いですっ!それよりもケーキ!ケーキ食べよっ!華原君の口に合えば良いんだけど」
「桜川の作るものなら美味いに決まってるじゃん」
「もう、華原君ったら…」
照れ臭そうにはにかみながら、ケーキを皿へ取り分けて雅紀へと差し出した。
「………」
しかし、雅紀は中々ケーキに手を付けず、少し考え込るようにして黙り込んでしまう。
「…華原君?」
実はケーキなんて気に入らなかっただろうか?とちょっと不安になるが、こちらを向いた雅紀の笑みに、それは杞憂だったと悟る。そして、雅紀は思いも寄らなかったことを口にした。

「…なぁ、桜川が食べさせてくれない?」
「え!?ななな、何で!?」
「何でって…桜川に食べさせてもらいたいなーって。たまには良いだろ?オレの誕生日だし」
そんな風に言われてしまうと、断れなくなってしまうからズルい。まして、そんな笑顔で言われてしまっては。
「もう……今日だけだからね?」
「うん。サンキュ」
(そうだよね、今日は華原君の誕生日だし。今日は華原君がして欲しいことは何でもしてあげようかな…なんて)
フォークでケーキを掬いあげ、雅紀の口元へ持っていく。
「はい、華原君。あーん」
そう言うと、パクリと雅紀は素直にケーキを口に運び、満足そうに笑った。
「うん、美味い」
「ほ、本当?」
「本当だって。ほら、もう一口」
「う、うん」
ケーキを口に運ぶ雅紀の姿はいつもよりも幼く見えて、何だかちょっと可愛いな、とヒトミはこっそりと思った。
最初はちょっと恥ずかしいと思ったが、たまにはこういうのも悪くないかもしれない。

皿のケーキはあっという間になくなり、ヒトミの淹れた紅茶を飲みながら、二人でソファで寛ぐ。
部屋へ訪れた時にはあんなにはしゃいでいたシュタインも、今は雅紀の足元で寄り添うようにして寝息を立てていた。
「ケーキ、本当に美味しかった?」
「本当に美味かったって。ふわっとしてて、甘さも丁度良かったし」
「そっか。良かった…」
そう頷きながらも、何だかソワソワとしているヒトミに雅紀は気付く。
何だか先程から少し彼女の様子がおかしい。手をもじもじと動かして、表情も何か悩んでいるような。
「…桜川?」
「えっと…その。あのね?もう一つだけ、プレゼントがあるんだけど…」
「え?」
そういうヒトミの手には何もなく、雅紀は不思議そうな顔をする。
ヒトミの考えたもう一つのプレゼントは、ケーキを作ろうと決めてから、数日後に思い付いた。
きっと雅紀にとっては簡単なことだろうと思うけれど、自分からは恥ずかしくて、中々できないでいること。
「華原君、ちょっとこっち向いて」
「ああ」
言われるまま、雅紀はヒトミの方へ向き直る。
(どうしよう、緊張してきた…)
至近距離で顔を合わせることは初めてではないしだいぶ慣れたと思ったのに、妙に緊張してしまう。
心臓もドキドキと速く脈打って、怖気づきたくなってきた。
しかし、ここまで来て『やっぱりプレゼントなんてありません』なんて言いたくない。

大丈夫。きっとこれも、彼へのプレゼントになるはずだ。
…雅紀に喜んでもらいたい。今日は彼にたくさん喜んでもらう日にするんだ。
それが今のヒトミを動かす力になってくれた。

「……桜川?」
こっちを向けと言ったまま、固まって動かないヒトミに、心配そうに雅紀がのぞき込んできた。
(い、今だっ!頑張れ、ヒトミ!)
そう勢い付けて、思い切りヒトミは自分の顔を雅紀の方へ寄せた。
「……っ!?」
雅紀は一瞬何が起きたのかわからず硬直する。
ただわかるのは、目の前の彼女の唇から伝わる熱さだけだ。
「ん…っ」
少し離れた後、すぐにもう一度唇を重ねる。
…彼は今、一体どんな気持ちで受け止めているのだろうか。
閉じていた目を薄っすら開いてみる。すると雅紀と目が合い、慌ててすぐにまた目を閉じた。
長い長い時間そうしているような感覚。
やがてゆっくりと離れると、目の前には少し驚いたような表情で、顔を赤く染めた雅紀がいた。
そんな彼を見ることができたのが嬉しくて、ヒトミは笑顔を浮かべて、言おうと決めていた言葉を伝える。

「誕生日おめでとう。えっと……雅紀君」

自分からのキス。ほとんどしたことのない名前呼び。
普段の自分なら恥ずかしさの方が勝って、きっとできなかっただろう。
恐らく自分の顔も彼に負けないくらい赤くなっている。それを悟られないよう、少し俯きがちになりながら見上げた。
「ええと…今のがもう一つのプレゼントだったんだけど……」
「………」
「…華原君?」
先程から雅紀の反応がない。
徐々にヒトミの胸に不安が芽生え始める。
もしかして、これがプレゼントだったなんて、呆れてたり…する?
さっきまで高揚していた気持ちが、急速に下がっていくのを感じた。何か言わないと、と頭を働かすが、全然何も浮かばない。
……ああ、やはり慣れないことをするんじゃなかっただろうか。
そう後悔し始めた時、急に強い力で腕を引っ張られた。
「きゃっ…」
そのままソファへと押し倒される。気付けばヒトミはソファを背に仰向けに倒れ、雅紀に抱きしめられていた。
「か…華原君…?」
「……桜川って、いきなりこっちが驚くようなことをするよな」
耳元でいつもよりも低い声で囁かれる。思わず身体がビクッと震えた。
「そ…そうかな?」
雅紀の顔はヒトミの肩に埋められており、今、彼がどんな表情をしているのかわからない。
一体どうしたのだろう?
混乱するヒトミを横に、雅紀は深く溜め息を吐いた。
「さっきのケーキで許してあげようと思ったのに…。あんなことされたら我慢できなくなるじゃん」
「あ、あんなことって…」
さっきのキスのこと?
それと今の状況は関係あるの?
それに『許す』というのは―――。

「…オレ、ヒトミが思ってた以上に嫉妬してたんだよね」
「し、嫉妬…?」
「颯大のことも橘のことも。でも全部オレのためだったって言うし、必死で我慢してたのに」
「…え…と…」
何だかよくわからないが、何やら雅紀のスイッチが入ってしまったらしいことだけは理解する。
…このままではマズい。
本能でそう悟り、警告音が頭の中で鳴り響く。でも、身体は雅紀に強く抱きしめられているため身動きが取れない。何とか身を捩ろうと試みるも、やはり男女の力の差は大きかった。
「か、かか、華原君。あの、ちょっと苦しいから、離してほしいな~…って…」
「イヤだ。っていうかごめん、無理」
きっぱりと返されてしまい、取り付く島もなさそうだ。それどころか抱きしめる腕の力は更に強くなっている。
ヒトミは若干パニックになっていた。
…とにかく、今の状態から脱さなければ。

「か、華原君っ!あああの、その…っ」
「どうしてそう嬉しいことばかりするんだよ…っ」
……え?
動かそうとしていた身体が固まる。
今、彼の口から聞きたかった言葉が聞こえたような。
「う…嬉しかった?その、さっきの…プレゼント」
「当たり前だろ?…もう嬉しすぎて、どうにかなりそう」
抱きしめられていた腕が緩められ、雅紀は上体を起こす。そこでやっと、ヒトミは彼の表情を見ることができた。
「ありがとう」の言葉と一緒に、照れたような、でもとても優しい笑顔が向けられる。
さっきまでの焦りや不安は消え去って、喜びと嬉しさが一気に胸を満たしていくのを感じた。
「良かった…っ」
ちょっと…いや結構?恥ずかしかったけど、彼が喜んでくれるなら、これ以上嬉しいことはない。

「…それでさ」
「うん」
「スッゲー嬉しかったからさ。今のだけじゃ足りなくなったんだよね」
ギクリ。その言葉に、頭の中で警告音が再び鳴り始める。
「た…足りない…?」
何を?何て聞かずとも、既に彼の目が物語っていた。
いつも以上に優しくて、そしていつも以上に熱を帯びた目で見つめられる。
色々言いたいことがあるはずなのに、そんな彼の瞳に捕らえられてしまっては、何も浮かび上がってこない。
耳元で、優しく甘い声で囁かれる。

「ヒトミ」

その声と吹きかかる息に、ゾクリ、と身体が震えた。
「さっきみたいに名前で呼んでよ」
「う…。……ま、雅紀、君…」
乞われるまま、そう言うので精一杯だった。
気付けば腕は自分よりも力強い力で掴まれてソファへ押さえつけられ、身動きが取れなくなってしまっている。
煩かった心臓の音は更に速く大きく高鳴り、だんだん瞳も潤み始めるのがわかった。
「…そんな顔されると、本当に我慢できなるなるんだけど」
「っ!だだ、だって、雅紀君がこんなことするからいけないんじゃないっ!」
半ば自棄になって答えると、雅紀は「悪い悪い」と言いながら、可笑しそうにクスクスと笑った。

「…あのさ。できればこのままヒトミが欲しいんだけど…」
雅紀の大きな手が頬に触れ、撫で上げられる。
「………っ」
「…イヤ?」
「……うぅ…っ」
本当に彼はズルい人だ。
イヤだと言うはずがないと、わかっているくせに。
その証拠に彼は不敵な笑みを浮かべていて、何だか少し悔しくなる。
……でも。
頬に触れられた手は、心なしかいつもよりも熱を持っている気がした。多分気のせいではないだろう。
ドキドキと煩く高鳴る心臓も、熱くなっていく体温も。きっと彼も同じなのだ。
そう思うと、悔しい気持ちは薄らいで、少し安心感が芽生えていく。
…たまには素直になって頷くのも良いかもしれない。
(今日は雅紀君の誕生日だもんね)
それにこの先へ進むことを、どこかで期待している自分がいるのも嘘ではない。
…さすがにそんなことはまだ言えないけれど。

「…イヤ、じゃないよ」
小さく震える声で答えると、雅紀はニコリと満足そうに笑いかける。
「ありがとう、ヒトミ」
そう言いながら優しく降りてきた口付けを、静かに目を閉じて受け止めた。

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